【野川染織工業 × きららテラス羽生】最期のときを見送る、藍染暖簾
最期のときを見送る、藍染暖簾。
2020年9月にオープンしたきららテラス羽生 きらら会館。
その入口には、ここ羽生の地で1世紀以上もの間、伝統を守り続ける野川染織工業の藍染暖簾が掲げてあります。
今回のきらら通信では、羽生で藍染が発展した背景から今回制作した暖簾の意義に至るまで、野川染織工業 4代目・野川雅敏氏にお話を伺いました。
「日本一の暴れ川」として名を馳せる利根川。その中流に位置する羽生市周辺は古くから洪水が多く、藍を育てるのに最適な土壌が形成されていました。江戸時代に綿が広まってからは綿花栽培も行われるようになり、綿と藍染との相性がよかったことから藍染産業が発展。今話題の深谷市の偉人・渋沢栄一も藍染の原料となる「藍玉」の卸問屋として活躍を遂げたといいます。
糸から染め、織り、縫製まで。天然発酵建の藍染。
1914年(大正3年)に創業した野川染織工業は、羽生で唯一、天然発酵建・先染の藍染技法を受け継ぐ老舗。現在、藍染というと化学染料を水に溶かして布の状態で染める後染が想起されますが、本来は野川さんの受け継ぐ技法が藍染の真髄です。
両者が大きく異なるのは「耐久性」と「染めの極み」。
糸の一本一本にまで藍の成分が食い込み、旧式の希少なシャトル織り機で織られた布は頑丈で数年経ってもほつれにくく、元々は庶民の野良着として使い込まれていたというのも頷けます。
また、一般的な藍染製品は時間が経つと単に白く変色しますが、薄い色から濃い色へと段階を踏んで染めている野川染織工業の藍染は、年数を重ねるごとに風合いを増し、豊かな青のグラデーションを楽しめます。
染め・織り・卸問屋と分業が主流だった時代から、野川染織工業は染めから織り、そして小売店への卸までを一手に手がけてきました。それが、高度経済成長期に多くの藍染業者が廃れていくなか、ここ羽生の地で伝統を受け継いでこられた理由のひとつだと、野川さんは語ります。
「この地に生きた」証のように。
きららテラス羽生 きらら会館をつくる際、“何か地域を象徴するものを採り入れたい„。そんなダイリン代表・加藤聡の想いを受け、オリジナルの暖簾を手がけてくださった野川さん。
「刺し子の暖簾は、うちでしか染められない、織れない、唯一無二のものです。ダイリンのロゴマーク部分を白く抜く[抜染]は、うちの長い歴史の中でも初の試みでした。きららテラスは、いわゆる現世である此岸とあの世である彼岸を自然体でつなぐ場所。そのような場所に、土から生まれ土に還る藍で染めた暖簾がかかるのは、人の一生を象徴するようでとても意義のあることだと感じています(野川さん)」。
“日常の延長のようなご葬儀„を提案するダイリンのきららテラスと、元々野良着として日常の中で親しまれてきた野川染織工業の藍染。日常=人生をキーワードとする2者の出会いが生み出した「暖簾」は、羽生という地域を象徴するものであると同時に、きららテラスでご葬儀を執り行う故人が「この地に生きた」証のように、今日もきらら会館の入口で穏やかになびいています。
infomation
野川染織工業株式会社
羽生市須影470
nogawasenshoku.com
直営ショップ「Japan Blue Terrace(ジャパンブルーテラス)」では、藍染製品をお買い求めいただけます。
金・土・日の10:30-18:00まで限定オープン。